2015年3月24日火曜日

六日目:さようなら、地の果てタスマニア 【朝焼けの虹】は不吉なのか

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 「夕焼けは晴れる、朝焼けは雨になる」
 誰でもがよく聞かされる言葉である。
 もう一つ、
 「虹がでると晴れる」
 なら、「朝焼けの虹」ではどうなる。
 答えは『不吉の予兆』である。
 矛盾状態は説明を拒否し、結果として「なんとなく不吉だな」となる。
 でもちまたのウワサとは別に、きれいなことは確かである。
 うっとりと眺めてしまう。
 今日は最終日で帰りの飛行機に乗る。
 最近、飛行機事故が多発している。
 大丈夫だろうかと余分なことを考えてしまうのだが。

 朝早く、叩き起こされた。
 「虹よ、虹!」
 ベランダに出てみる。
 何とも幻想的。
 右に朝焼け、左に虹。
 風景としてはドンピシャ。
 この虹、やたら大きなアーチを描いている。
 地の果ての虹はかくもビッグなものかと感心する。
 写真では解りにくいが、実に鮮やかである。
 さらにこれ、二重リングになっている。
 写真でもうっすら外輪円が見える。
 


 荷物を整理してコテージを後にする。
 忘れ物は、ない。
 いろいろあった四つ星である。
 ボックスの中にキーをいれて、適当な番号にしておく。
 管理人はピンコードではなく、カギで直接ボックスを開けて回収するのだろう。
 なを、ここに思い出帳がおいてある。
 泊まった人が記帳するものである。
 ほとんどすべて英文であるが、中国語が1件あった。
 日本語は残念だがない。 

 まずは下の地図で左の「Coal Mines Historic Site」へ向かう。
 炭鉱跡地である。
 ここで囚人が働かされていたというところである。




ソルトウォーター・リヴァーの炭鉱史跡 Wikipedia
世界遺産  オーストラリアの囚人遺跡群

ソルトウォーター・リヴァーの炭鉱史跡とは、オーストラリア・タスマニア州のソルトウォーター・リヴァーにある炭鉱史跡である。
1830年、ポート・アーサーに刑務所が設立された。
ポート・アーサーの刑務所は、脱走不可能の刑務所であった。

ソルトウォーター・リヴァーの炭鉱で働いた人々は、ポート・アーサーに流刑で流された人々の中でも、最も犯した罪が重い囚人たちであった。
ここでの採掘は1833年から1848年までの15年間、続けられた。

鉱山の閉鎖後、当時の建物は、廃墟と化したが、1996年、ポート・アーサー歴史遺産管理局(Port Arthur Historic Site Management Authority)が設立され、ポート・アーサーとともに歴史遺産として、管理されることとなった。
2010年、オーストラリア国内の他の10の遺産とともに、UNESCOの世界遺産に、オーストラリアの囚人遺跡群の構成要件の1つとして、登録された。
 (英語名の資産名は、「Coal Mines Historic Site」である)。




● 入り口




● 案内板

 採掘現場跡は省略してビーチの見えるポイントまでいくことにする。


● 入り口にあるもので、こんな狭苦しいところで囚人は作業していました、という採掘穴のサンプル







● 囚人の部屋:3畳くらいだろうか


● 呪いの家?

 囚人の家以外にも看守や医者の家などが小道の奥に立っている。
 その一つに近寄ったときである。
 「ウワー」
と悲鳴をあげてカメラを持っていた右手をダランと落とした。
 「どうしたの」
と家人や息子が聞く。
 「右手に痛みが走って、腕を支えられなくなった」
と答える。
 カメラはいつもストラップを手首に巻いてあるので、落ちることはない。
 この家、何かがある?
 医者の家なら、囚人の恨みを買っていることもある。
 昨夜は、なんでか知らないが夕食にステーキが食べたくなった。
 十年以上も肉など好んだことがないのにである。
 もしかすると、当てつけでステーキを食べたのだろう、と囚人の霊が怒ったのかもしれない。
 十分な肉など食べられずに死んでいった囚人の呪いかもしれない。
 食い物の恨みは怖ろしい、という。
 この家には入らず、早々に退散した。








 ここで超望遠ズームをセットした一眼レフをぶらさげた4人組に会った。
 「バードウオッチングですか」
と聞いたら、そうだとの答え。
 クリップボードを持っていて、今日は13の鳥に会った、という。
 クリップボードにはたくさんの鳥名が記載されていて、出会った鳥をチェックしているらしい。
 今日はバードウオッチングには適切ではない。
 鳥がいるかいないかではない。
 曇っており空が白い。
 この場合、ハレーションを起こし、鳥は黒焦げに映る。
 やはり青空がいい。
 背景が青だと羽の色合いが鮮やかに浮き出る。
 今日は木の上の方に止まっている鳥は観察撮影対象にならない。 





 ここにきれいな鳥がいたので撮った。
 コンパクトデジカメなのでピントが合わない。
 焦点距離がカメラまかせになるので、ピンボケになる。
 一眼レフのように任意に焦点を合わせられれば回避できるのだが。
 これは「私にも写せます」の悲劇である。
 しかし、最近のコンデジには焦点リングがついたものが出てきた。
 窓がついて、ここからピントを合わせられるようになっている。
 カメラは怖ろしい勢いで進化している。
 これならコンデジ最大の欠点であるピンボケ写真を撮らずに済むかもしれない。
 さて、この鳥だが頭が白く、胸が赤い。
 これだけの特徴ならすぐに図鑑で見つかる。
 『Scarket Robin』という。
 これオスである。
 左の方の少し胸が赤い鳥がメスである。
 この鳥はオスとメスで色合いが違うのである。
 和名は「サンショクヒタキ」という。
 wikipediaで見てみる。

サンショクヒタキ(学名:Petroica multicolor)は、オーストラリアヒタキ科サンショクヒタキ属の鳥類の一種。
 オーストラリアのクイーンズランド州南東部(サウス・イースト・クイーンズランド地域)、ニューサウスウェールズ州東部、ビクトリア州、南オーストラリア州南東部、西オーストラリア州南西部、タスマニア。生息域内では森林、疎林などに生息している。
 全長12-14cm。オスの頭部から背面、尾羽にかけて黒色。
 またくちばし脚も黒色。前頭、下腹部から下尾筒にかけて白色。
 胸から腹部にかけては明るい赤色である。
 メスはオスで黒色である頭部から尾羽にかけての部分が茶褐色で、胸の赤色も薄い。
 若鳥は背面が褐色で、胸は赤みを帯び、縦斑がある。

 

● フェンスに止まっていたのは幼鳥でまだ胸の赤みが広がっていない。




● 近くの枝に止まっていたのがオスの成鳥:赤と黒とそして白が何とも鮮やか


 これは何
 野趣味満点の海水野天風呂?。
 少々荒れ気味でヤバそうだが。


 先に挙げた地図の右に3つの名が並んでいる。
「 
 Tasman Blowhole
 Tasman Arch 
 Devils Kichen

  これはそのうちの Tasman Blowhole である。
 「Blowhole」とは「噴水穴」のことで、外洋に面した穴(トンネル)から海水が流れ込み、このように激しく荒れ狂うのである。



でもなんで、プールのようにあたかも人間が作ったように四角いのだろう。
 反対側から見てみる。




ルックアウトへ登ってみる。
 何とも壮大にして壮観。
 海の力をこれでもかこれでもかと訴えかけてくる。






 この右側の奥に Tasman Blowhole がある。

 次は Tasman Arch
 『
ことばバンク
https://kotobank.jp/word/%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%81-805233
 オーストラリアのタスマニア半島の景勝地。
 高さ63.9mで、天井までの高さが海抜52.7mの巨大なアーチ型の断層になっている。
 堆積岩が氷河に浸食され、固い粗粒玄武岩部分を残して、海岸の絶壁に窓が開いたような状態になっている。




最後は、Devils Kichen
 「悪魔の台所」ということだが、日本ではさしずめ『悪魔のマナ板』と名付けるだろう。
 

  そのマナ板だが潮が満ちていてわかりにくいので、googleのもの載せておきます。



 ホバートに戻る途中でおかしなところを通る。
 来た時も気にかかっていたところなのだが。
 道路の左右が水という場所である。
 一方が海というのはその大きさからしてすぐにわかる。
 問題は反対側なのだがこれは湖なのだろうか、と思うところである。
 道路との接点長さがその程度のものしかないのである。


 いわゆるこの道は地峡になっている。
 海と湖を分けているのだろうか。
 また道路面から水面まで数メートルもない。
 実に危ういのである。
 もし大潮・高潮がきたらこの道路は冠水し、湖に海水が流れこんでしまうのではないかと心配になる。
 真水が塩水になったら、甚大な生態系被害が出る。
 もう少し危険意識があってもいいのではないか。
 そこで息子に聞いてみた。
 答えは「どちらも海」だという。
 ということは、海がここで分断される、ということになる。
 これは考えてみれば変である。
 絶対に変である。
 なら繋がっていてもいいはずではないか。
 本当に両方共に海なのだろうか。
 その海がなんでこんなふうに別れているのか。
 検索してみた。
 確かに海である。


 この程度の長さでどちらも海とするなら、以前は海として繋がっており、後に人為的に利便を考えて埋め立てた、とみるのが通常だろう。
 いまでは生態系を破壊してはならないということから橋をかけることになるが、昔は橋より地峡のほうが工事が安易であることは確かであったろう。
 繋がっていれば潮の流れは相当に急だったはずである。
 だが1800年代にポートアーサー監獄が置かれたときにすでに地峡だったとある。
 監獄関係者はここを囚人脱走が行われないように固く守ったとあるから、囚人たちを使って埋め立てを行ったということはないようである。
 ということは、湖みたいな方は「海のどんずまり」ということになる。
 言い換えれば「海のシッポの先」ということでもある。
 ここを『Eaglehoak Neck』という。
  Wikipediaによれば狭いところで30m、長さは400mほどだという。
 稿頭で載せた地図の真ん中にマーキングしたところである。
 
 googleマップで拡大していってみる。




 

飛行場でレンタカーを返す。
 遅い昼食をする。
 なんともいい加減だったタスマニア旅行もこれで終わる。


● ホバート空港


● ホバート空港 搭乗口ロビー_

ちなみにおみやげはというと、タスマニヤ産は蜂蜜がたった1ケのみ。

 金額にして3ドル50ほどか。

 さて、もうじき出発である。
 朝焼けの虹』に遭遇した今、果たして飛行機は墜落してしまうのか。
 『ポートアーサーの呪い』は。



 【相当にいい加減なタスマニア旅行】



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五日目:ポートアーサー泊 【オットセイの死体】があるのだが

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 このコテージから見る海はなかなかのものである。
 ただ我々は天気に恵まれなかったので、曇り空の下での印象しかない。
 コテージからはビーチに下りる道がついている。



 降りてみる。
 ビーチは岩場である。
 向こうになにかいる。
 もしかして、もしかして。

 


 オットセイの死体である。
 オットセイとアザラシとアシカの区別は知らないのでオットセイにしておく。
 オットセイは岩の上を動くことができるはずである。
 ここなら海に移動するのにさほど労力はいらないだろう。
 なのにどうしてここで死んでいるのだろう。
 死んだオットセイが打ち上げられた、とみるのが妥当であろうかと思う。
 私はこの手のものを見るのが嫌いである。
 早々に引き上げた。
 この死体がなければゆっくりこのあたりを見て回ったのだが。
 敷地的には隣になるのだが、コテージを引き払うとき電話しようと思っていたが、すっかり忘れてしまった。
 今日はポートアーサー監獄へいく。
 その前にこんなにでかい死体を見せられるとは。
 路上で轢き殺された小動物とは印象がまるで違う。
 やはり『呪い』か。

 このポートアーサー(タスマン島)は海洋動物の宝庫で、これを見学するツアーも盛況のようである。
 例えば、これ。

観光賞受賞:3時間のウィルダネス·クルーズ
Tasman Island Cruises


タスマン島クルーズは南部のタスマニアのポート·アーサーとイーグルホークネックの間で壮観な海岸線に沿って走る忘れられない3時間の荒崖クルーズを提供しています。
クルーズは、ケープ・ピラーから南半球で最も高い垂直にそそり立つ海崖群へと回りこんで行きます。
 お客様は、滝、岩、アーチと深海の洞窟を探検することもできます。
この海岸線はタスマン国立公園の一部になっています。
海岸線には、何千ものでアザラシ、何百ものクジラの遊泳、そして豊富な海鳥などの野生生物の住処でもあります。
ダイビングカツオドリ、風に飛ぶアホウドリと海ワシ、崖のネスティング鵜とハヤブサ、あるいはボートの船首を波切って遊びイルカの伴送などをお楽しみください。
特製製造された黄色のボートはタスマン半島の壮大な海岸線と野生動物を見学するに理想的なものです。
各ボートは、43名様まで乗船できます。
屋根付きオープンエア階層座席は、優れたオールラウンドビューにより自然環境とのコネクテイングをもたらします。
この船は、その燃料効率と低排出動作のため、安全で快適で環境にやさしいものに造られています。


 Adults  $125
 Children $75


 今日の予定は「ポートアーサー監獄」の史跡見学である。


● 史跡見学センター 

 大人$35である。
 大きな「ビジターガイド」をくれる。





● 「ポートアーサー」のコンパクト版

センターの建物の中には模型が置かれていて位置関係がわかるようになっている。



 また建物の大半を占めているのは大きな食堂である。
 なにしろこの監獄敷地は馬鹿でかい。
 一日がかりで回るほど。
 よってどうしても食事をしたくなるのも無理はない。
  我々は10時半のガイドについていく予定なのであるが、ここについたのは9時半。
つまり、ここで朝食というわけである。
 おもしろいのはデイスプレイで昼の特徴的な食事が紹介されていることである。

英語のほかに中国語と日本語と韓国語である。
 アジアの客筋が大きいようだ。
 「ヌードルボウル」というのがある。
 そう、カップラーメン。
 どう考えたって7ドル50セントは高いと思う。
 中華三昧あたりがカップ麺になってれば納得もするのだが。
 いったいなんだろうかと見に行ったらプロダクト・チャイナであった。
 とても怖くて手が出ないだろう。
 もちろん、大きな食堂でいろいろなメニューが揃っている。 

 10時半になったのでガイドについて敷地に入る。


 向こうに見えるのが絵葉書にもなっているここの特徴的な史跡建造物。


● これがその絵葉書:感化館

 ガイドのオッサンが強弱をつけておもしろおかしく説明してくれる。
 こちらはまるでわからないから、あちゃこちゃとウロウロする。
 あとでその内容を息子がレクチャーしてくれる。


 場所を変えて3回の説明の後、自由に見学してください、ということになる。
 あっちこっち見て回ってカメラを回す。
 あんまりいろいろあるので何がなんだか分からなくなってくる。

●この左右に囚人の部屋がある。
 ここの囚人の多くは働かされており、態度が悪い囚人は独房行きになる。


● 囚人部屋 快適のように見えるがこれは写真のマジックによる


● これは囚人の食事である。左が朝食、右が夕食、上がおそらく昼食だと思う。
 














これまで見てきたのは下の地図の右上の建物郡である。




 これから湾内クルーズに向かう。
 地図でいうと中央したの「26」になり、点線のような感じで遊覧する。


遊覧船に乗る。









Isle of the Dead Cruise Port Arthur Tasmania::google動画から

 食堂にもどり遅い昼食にする。
 ひとごこちついてから午後の散策である。
  下の図あたりを回ることにする。 

 ここでのメインは教会


 リンゴ園がある。
 数種類のリンゴの木が植えてあり実をもっている。
 もぎ取って食べていいとある。
 食べてみた。
 少々甘みが足んない。
 小さなもの3つほどバッグにいれてもってきた。
 こういうことをしてはいけない。
 そういえばリンゴのことだが、タスマニアには日本のリンゴがある。
 それもスーパーで売っている。
 名称は『TSUGARU(りんご)』という。
 津軽リンゴを移植したのだろう。

 ところでこの「緑壁:グリーンウオール」は何だ。

  ここにはたくさんの鳥がいるが、いくつかの見知らぬ鳥に出会った。
  うまく撮れたものを載せておく。
 特徴のある大きな鳥ですので簡単に探せるとおもったのですが図鑑をめくってもそれらしいものに行き当たらない。
 分かったらその都度、名前を書き込みます。

● 鳥名:不明

● 鳥名:不明

● 鳥名:不明
 

  入り口の案内カウンターの横におきなデイスプレイがあってレストランの宣伝がかかっていた。
 昨日はナビにいっぱい食わされたという苦い経験がある。
 受付嬢に聞いてみた。
 「このレストランはどこにあるの?」
 答えは
 「ここです」
 「ここって?」
 大きな食堂が夜になると奥のほうが仕切られ、そこがレストランになるのだという。
 ということは、テーブルと椅子はこの大食堂のもの同じということになってしまうのだろうか。
 それともレストラン用に入れ替えるのであろうか。
 まさか、夜来てみたら、やっていません、なんてことにはならないだろう。
 なら、ここにするか。
 「予約はどこでできます?」
 「ここです」
 早速に6時半に3人の予約を入れた。
 それまで、コテージに戻って休もう。

 時間になって改めて「監獄へ出かけ」ていった。
 表現がおどろおどろしている。
 なるほど、中央あたりに仕切利が入り、向こう側がレストランに変身していた。
 テーブルと椅子はやはり食堂のものであった。
 このレストラン『The Pavement Restaurant』という。
 まさか「監獄レストラン」なんて名前をつけるわけにもいなかいだろう。
 だがである。
 検索してみたがタスマニアあるいはポートアーサーにはそのようなレストランの名前はヒットしないのである。
 これは仮想空間のなせるワザか。
 「呪い」か。
 つまり呪想空間か。
 昨日のレストラン案内のナビといい、このレストランのインターネットアクセスといい、何かこの地域ではインターネットの電波が歪んでいるのではないだろうか。
 レストラン自体がインターネットに載せていなくても、利用したお客さんの書き込みがあってもいいはずなのだが。
 画像でも出てこない。
 何でも呪いのせいにしてしまう。
 ちなみに日本には都会の真中に「監獄レストラン」がある。

 この時間、この監獄では
 『ゴーストツアー
という怖ろしいツアーが実行されている。


Port Arthur Historic Site
ゴーストツアー [Ghost Tour]
http://www.portarthur.org.au/index.aspx?base=7639
 不気味な90分のランタンライト付き冒険にお出かけください​。
このほぼ2世紀に渡る資料に残る目撃情報と超常現象には、ポートアサーの持つ強烈な暗い雰囲気が映しだされています。
 真実か、はたまた神話か?
 どちらだとしても、静寂とランタンの柔らかい光は、これら昔のことを手の中にあるかのように感じとることができます。
 ほとんどのゴーストツアーとは異なり、ポートアーサーゴーストツアーは、世界遺産に登録された場所にあり、他は見られない非常に素晴らしいものです。
 押し合いへしあうようなツアーではありません。
 これは本当に特別な場所の持つユニークな体験なのです。



コトバンク ポートアーサーかんごくあと【ポートアーサー監獄跡】
https://kotobank.jp/word/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E7%9B%A3%E7%8D%84%E8%B7%A1-806015
 オーストラリアのタスマニア州の州都ホバートから南東に約100km、タスマニア半島の突端にある流刑地跡。
 1830~1877年の間に、重罪人や植民地での犯罪者など、1万人以上がここに送り込まれた。
 当時の独房や石造りの教会が残っていて、現在は町全体が歴史的遺産として管理されている。
 「ヒストリックゴーストツアー」が夜間に実施されている。


 私はホラーが苦手である。
 そういうのには近づかないようにしている。
 「ゲゲゲの鬼太郎」は面白いが、墓場は嫌いである。

 さっさと夕食にしよう。
 ワインはタスマニア産で。



 昨日のことがあるので、息子は軽くビールで。
 ところで私は肉が食べられない。
 昔は誰よりもステーキを好んでいた。
 皆が普通の料理を注文しているときでも、私だけはステーキであった。
 だがここ十年くらいまったく食べていない。
 もっぱらサカナを主にしている。
 何かを境にガラリとサッパリ系に変わってしまった。
 もちろん肉ジャガやあるいは添え物の薄肉は少しは食べる。
 これもいっとき、肉だけ皿の横に分けて食べなかった時期があった。
 ギョーザやキャベツ巻きのひき肉は食べられる。
 鶏肉は大丈夫である。
 そんな状態にあるのだが、どういうわけかこのレストランでは無性にステーキが食べたくなったのである。
 これも「呪い」か。
 囚人たちが「肉が食いたい」と渇望しながら、その望みを叶えられずに息絶えたことの恨みかもしれない。
 それとも、
 「そろそろお前も向こうの世界からお呼びがかかりそうだから、今のうちに食べておけ」
という天の神様のご配慮かもしれない。
 理由はどうであれ、何しろステーキが食べたかった。
 そして、食べた。
 本当に本当に久しぶりの肉の塊であった。
 満足か、といえばもう少し量が欲しかった、とおもうほどである。





 【相当にいい加減なタスマニア旅行】

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【参考】 
■公式ガイド

Port Arthur Historic Site - Tasmania

■「ポートアーサーの呪い」 
 世にも恐ろしくないゴースト・ツアー
GHOST Hauntings at Port Arthur, Australia


THE EXTROADINARY. Port Arthur Ghosts.

■NHK世界遺産 

NHK世界遺産 『を刻む』 
http://www.nhk.or.jp/sekaiisan/toki/archives/121221.html

国を築いた「罪人たち」 2012年12月21日

 今回訪ねるのは、オーストラリア・タスマニア島にある囚人施設の史跡
 オーストラリアでは、刑務所跡や受刑者が働いた炭坑や農場などの建造物11か所が世界遺産に選ばれ、そのうちの5か所がタスマニアに残されています。
 なぜ刑務所などの史跡が世界遺産になったのか。
 それは、イギリスから送られて来た囚人たちがオーストラリアという国を築く上で大きな力になったという歴史があるからです。
 19世紀、産業革命と海外進出で発展期を迎えた大英帝国は、植民地の開発にひとりでも多くの労働力を必要としていました。
 その一環として次々にオーストラリアへ送られたのが囚人でした。
 食料や衣服の窃盗などささいな罪で流刑になった人も多かったことから、彼らは囚人であると同時に「移民」という意味合いが強かったことが近年明らかにされ、関係施設の世界遺産登録につながったのです。
 番組では、1830年からのおよそ50年間に12,000人の囚人を収容したタスマニアのポート・アーサー刑務所跡と、同じ頃イギリスから自分の意志でオーストラリアにやって来た移民が開拓し、囚人が労役に就いていた大農場を訪ねます。
 現在6代目の当主が運営するこの農場も世界遺産のひとつです。
 また、近年、オーストラリアでは自分のルーツに興味を持ち家族歴を調べる人が増えています。わずかな手がかりを元に先祖が囚人だったことを突き止め、
 それを誇りにする女性の思いを交えながら、若い国・オーストラリアのもうひとつの歴史を描きます。





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